いか!!

ども。

こんにちはあーるです。

今日は、先週末にいったワラルー(wallaroo)は、18世機半ばに銅の搬出港として始まった港町で、語源はアボリジナルの言葉から来ているそうです。またワラルーは小麦の搬出港としても使われていて、港には、小麦を積むためのコンベアがあります。

今では、ワラルーは搬出港以外にも、休暇中のミニリゾートとしても使われています。

自分のホストが小さいながらも、ホリデーハウスを持っているのでたまに泊まりに行きます。先週は、金曜日の夜に出て、土、日に釣りをしました。そして。。。

な、な、な、なんと!

人生初イカを釣りました!

タックルは、(先っぽが折れた)エギングロッドにオレンジの2.5号のエギ。

突堤から十五メートルくらいに投げて、ゆっくりとシャクってきたところを、十メートルあたりのフリーフォールのときに抱いてきました。っしゃぁ!

でも引きは魚のような感じではなく、竿先が重くなるような感じで驚きました。

 

とうとう念願の一杯本当に嬉しいw

オーストラリアの首都キャンベラへ。

お久しぶりです。

ターム間の休みが終わり、第二タームがはじまったあーるです。

今日は、休み中に行ったキャンベラについての記事です。もう5月も下旬ですが、首都への旅行ということで記事を書いておきたいと思います。

キャンベラには、4月26から4月29までの3日間滞在していましたが、時間的には26日の昼頃から夕方までと27、28日の朝から夕方までで、計2日半くらい使えました。

キャンベラでは、(新旧国会議事堂、国立博物館国立美術館、戦争記念館)等いわゆる観光地を回ってきました。殆どの建物の名前に、National(国立)という単語がつきかつそれぞれの展示や、建物のクオリティーが高く新鮮で興味深かったです。

特に、戦争記念館には、世界に唯一良好な状態で残っている戦車や戦闘機、ドイツ製のジェット機等、世界的に貴重な展示が見れてとても充実した観光でした。(ただの軍オタw)

また、国会議事堂は、日本のものと比べ、外観は厳しいものの実際の議場は日本のものより小さく、部分的に長椅子が使われているなど違いがはっきりと見とれ、いい社会見学にもなりました。

これで、オーストラリアの主要な観光地キャンベラ、シドニーメルボルンゴールドコーストダーウィン、パース、ウルルの中で、6ヶ所キャンベラ、シドニーメルボルンゴールドコーストダーウィン、ウルルに行ったことになります。

パースは、すごいいいと言う人が多いので、チャンスが有れば言ってみたいです。

ここ少し、更新が滞っていたので、また、更新頻度を上げたいと思います。

イースター。

今日は、夕方から、グレネルグというビーチ沿いにある教会にホストファミリーと行き、ホストファミリーが手伝うイースター用の晩餐に参加してきました。

この晩餐というのは、普通に人が集まって晩御飯を食べるだけのものではありません。食事のメニューは、エジプトの奴隷たちや、彼らがモーゼに率いられてエジプトから逃げ出す時にちなんだものになています。

晩餐は、3コースあり、前菜、メインコース、デザートの三つです。それぞれの食材には意味があるそうで、日本のおせちのような雰囲気です。例えば、前菜として出てきた塩水につけて食べるハーブは、塩水は奴隷制度下にあった人々の涙、ハーブの苦さは、人生や奴隷制の苦さの象徴だそうです。全ての食材に意味があるのはとても興味深かったです。

 

行く前は、服装に散々悩み、イースターは黄色、ピンク、白で表されると聞き白っぽいコーデで行きましたが、実際はスーツや黒っぽい服装の人の方が多く、オーストラリアではあまり関係ないようです。

 

第1四半期終了。

10日前になりますが、2017年の第1四半期が終わりました。

皆さんの第1四半期はどのようなものでしたでしょうか。

私は、本格的にオーストラリアの高校一年生として生活し始めレポート等の宿題に追われておりました。

しかし、毎日やったことや翌日やらないといけないことをノートに記録したり、バスの中で英単語を覚えたりと忙しながらも充実していた第1四半期だったと思います。一方で日本にいる友だちとスカイプしながらゲームをしたり、諸外国から来ている留学生の友達と外出したりと遊びの面でも充実していました。

その記録用のノートは、面白いことに三ヶ月しか使えないようになっています。(日付が各ページについていて、それが三ヶ月分しかない)

そして、必然的に各四半期のはじめにノートを次の3ヶ月用に変えないといけないようになっています。

商売上手だなとも思いますが、ノートを変えて驚いたこともあります。一年の計は元旦にありと言われるように、人は何か身近にあるものが新しくなると心機一転頑張ろうという気持ちになりますが、今回ノートが第二四半期用に移行したことで、第1四半期を振り返った上でまた頑張ろうと感じたということです。

第二四半期が終われば、一年の半分が終わります。第一タームは、成績的にもあと一歩という感じでした。第二四半期には、その一歩前に進むべく頑張りたいです。

みなさんも各四半期ごとに心機一転新たな目標を立ててみてはいかがでしょうか。

Nintendo switch

四日前、三月三日に任天堂から新コンソール”Nintendo Switch"が発売されました。

自分は入手できてないですが、開封&レビュー動画を見ていたところ、

”なんだろう。。昔は、任天堂のゲームに購買意欲があったんですけど。。PSが出てからあんまり買いたい気持ちがなくなってしまった”

というコメントを見たので今回の”Nintendo Switch"の発売と昨今の任天堂の商戦について考察したいと思います。

任天堂のコンソールと言えば、家庭気ではファミコンスーファミ、最近ではWiiWiiU、携帯機では、ゲームボーイや初期DSの後継機たち(3DS等)などがあります。

ソフトでは、任天堂の代名詞、マリオ、ポケモン、最近では、スプらとぅーんが有名どこかな?

ということで、Youtubeでのコメントについては、一昔前は、マリオや、ポケモンがまだまだ新鮮で、消費者も楽しめる年齢だったのに対し、初期ポケモンレッド&グリーンコンソールもゲームボーイからDS、ファミコンからWiiなど大きな革新が見られたものの、最近は最新型のDSやWiiUなど既出のゲームの上位互換しかなくソフトも新しくて刺激のあるゲームが出ないのが原因じゃないかと思います。昔はポケモン、マリオ、マリカー等新しいゲームがあったけど、今はそれをコピーしてるだけに見えます。

そして任天堂は、昔スーファミやDSを作ったころの攻める商戦ではなく、PSやXbox、PC、スマホに対抗する守る商戦を展開しちゃってる気がする。初期DSの後はDSの最新型をだし続けて目新しさを出してみたり、WiiPS2とかの家庭機に対抗したりしてたし、WiiUでは、スプらとかソフトの力で押すという任天堂の十八番が出たように思いきや、自分で切り開いた携帯機の市場を今回のNintendo switchで自ら家庭機市場に組み込むという。。。 (自分は任天堂あんま好きじゃないんでいいですがw)

ダーウィン空襲

こんにちは、レポートの宿題が多くブログ更新まで手が回っていなかったあーるです。

 

皆さん昨日は何の日か知っていますか?

昨日2月19日は、ダーウィン空襲の日です。

ダーウィン空襲とは、

日本軍が、1941年12月7日にハワイのオアフ島真珠湾にあるアメリカ海軍の基地を南雲艦隊司令率いる加賀、赤城、蒼龍、飛龍を中心とする第一機動部隊で爆撃したのに続き翌年1942年2月19日にオーストラリアのダーウィンにあるオーストラリア海軍基地と空軍基地を同じく。

加賀、蒼龍、飛龍を中心とする第一機動部隊で攻撃したというものです。

 

4隻の空母からは計188から242機(諸説あり)の攻撃機が飛び立ち、少なくとも243人の方が亡くなり400人以上がけがを負いました。

 

オーストラリアは昨日でこのダーウィン空襲から75年を迎え各地で慰霊式典が開かれました。

テレビでは、当時21歳で現在96歳の水兵の方のインタビューなどが放送され、日本で言う東京空襲のような感じだなと思いました。

 

このような、歴史を持っているにもかかわらず、

文化的にも、経済的にも強いつながりを持っているオーストラリアと日本、

*これからもその関係が大陸の国に干渉されることないよう続いていってほしいものです。

 

皆さんダーウィン空襲って知ってましたか?

学校では習わない範囲です(^_^;)

この記事は、本当は写真などつけるつもりだったのですが、時間がなくこのまま公開します。

次回の記事には、実際に爆撃されたダーウィンに行ってみて感じたことなどを書きたいと思います。

では。

*この文は、馬鹿の一つ覚えのように反中反韓を叫ぶ右的な発言ではなく、客観的にこの国の将来を考えたものであると理解していただけたら幸いです。

カカドゥ国立公園

今日は、ダーウィン旅行で行った、カカドゥ国立公園について書きたいと思います。

カカドゥ国立公園は、ダーウィンにある世界有数の面積を持つ国立公園で、世界遺産にも登録されています。

 

日程の記事にも書いたように、カカドゥ国立公園へは、二日目と三日目に滞在していました。

二日目には、ダーウィンから車でカカドゥ国立公園ないまで行き宿泊しました。この日はその日泊まった”Aurola Kakadu”というについたのが、二時頃だったのでそのあと近くにあるトレッキングコースを歩いただけでした。(途中スコールのような雨に降られてびしょびしょでした。。。)

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カカドゥ国立公園へようこその看板。

 

日程三日目、(カカドゥ二日目)は、朝五時に起きて、イエローウォーターリバーまで車で行き、イエローウォータークルーズをしました。

クルーズに行く前、ホストマザーはアボリジニの人が運営しているクルーズだから品質が信頼できんとか何とか言っていましたが、クルーズは素晴らしいものでした。

アボリジニニュージーランド人のハーフの方が船頭で、何本も流れている川の構造だけでなく、雨季で(今は雨季真っただ中です)あふれた水で構成されたバックウォーターまでっていて、野生動物やブッシュタッカー(食べれる野生の植物)などの説明もとても充実していました。

 

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三十人乗りくらいの小さいボートでぎりぎりボートが通れる木々の間をすり抜けていく船頭さん(すごい)。

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3mくらいのクロコダイル船から四メートルくらいのところまで近づきました(^ー^)

このボートには、手を船の外に出すなというルールが存在します(゚д゚;)

 

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こんな蓮のような花も咲いていてきれいでした。

 

オーストラリアには、アボリジニとの問題が存在しています。

1900年代後半には、十八世紀にイギリス(オーストラリア植民地政府)が行った非人道的な政策(個人的な解釈です)に対してデモなどが行われ、市民権などのアボリジニの人権問題がオーストラリア内で社会問題となりました。

一方、その後オーストラリア政府のアボリジニに対する大きな公的扶助によって、堕落した生活を送るようになってしまった人が少なくなく、今はオーストラリア人の中ではなんで俺たちの税金で彼らを養わなければならないんだ!という意見が聞かれます。

こういった問題を抱えているアボリジニについて、彼らの土地であるカカドゥに行って、思ったことがあります。「彼らには彼らの家と生き方があるんじゃないか?」これは、そのボートの船頭さんを見ていて思ったことです。彼らは、川やバックウォーターの構造植物の便利で有効な使用方法などを知っていて、彼らは自然に住んでいるんだなと思いました。しかし、一度西洋文化を持つ都市に出しまえば彼らの知識は役に立ちません。

自分は、彼らは彼らたちで、自然と暮らすべきではないだろうか?もし西洋文化を持つ都市に出たいならやはり西洋式の教育を受けるべきではないだろうか?

 

はい。カカドゥ編いかがでしたでしょうか?

次回は、ダーウィン空襲、軍事、フライトドクター。を三つ同時にやるか、いくつかに分けてその中の一つを取り上げると思います。