ハウスボート(日本人抑留キャンプ)

ども、ホリデーでアデレードはマリー(マレー)リバーのハウスボートに来ているアールです。

 

今日は、ここ南オーストラリア州のマリー(マレー)リバーにある第二次世界大戦中の日本人抑留キャンプに行って来ました。(歴史大好き(*´꒳`*)
ホストファミリーによればオーストラリアには、いくつか日本人が抑留されていた場所があるそうですが、この日本人抑留キャンプは、他の抑留施設から逃げ出そうとした人達などが送られた場所で他の施設と比べるととても厳しい環境にあったそうです。

確かに、周りは川と森に囲まれていて、逃げ出すのはだいぶ大変そうでしたし、アリや蛇などの野生の脅威もありました。

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この蛇は昨日ブッシュの中で見たものでタイガースネークという毒ヘビだそうです。
噛まれたら治療までの猶予は二時間くらいだとか。。。

 

 

キャンプは、今となっては、70年以上前なこともあり多くのものは残っていませんでしたが、まだまだ彼らがここにいた証拠を見ることができました。

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キャンプにはキッチンとして使われていた小屋や、かまどだと思われる短い円柱を見ることができました。ちなみに彼らは、カンガルーの肉や野生のトマトやベリーを食べていたそうです

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他にも地面を平らにするローラーの残骸や小屋の基礎のようなレンガが残っていました。

この石碑には、
「このキャンプは1942年5月7日に設置され、日本人抑留者達がポンプステーション(多分川から水をくみ上げるものだと思われる)や蒸気船の燃料としてレッドガムの木を切り出す労働力として抑留さてれいました。キャンプは木や鉄から作られたキッチンや小屋寝泊まりするためのテントで構成されており、1945年5月6日に閉じられました」
と書かれています。(誤訳あったらすいません)

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少し興味深かったのが、終戦の三ヶ月も前に抑留キャンプが閉じれていたことです。オーストラリア政府はすでに日本の敗戦による終戦を把握していたのか?連合軍には三ヶ月前に勝戦を確信する判断材料があったのか?(まあヒトラー率いるドイツ軍が無条件降伏を受け入れる直前ですが)色々な疑問があります。

何にしろ、自分自身オーストラリアに日本人抑留者がいたことすら知らなかったので、ここで苦労した先祖がいたことを知らなかったのを少し残念に思うのと同時に、全ての物質的証拠がなくてなってしまう前に訪れることができたのを嬉しく思います。

(久しぶりの長文、読みにくかったらすいません)